双子が帰省してこないので一人で行ってきました。

これが山頂のお堂なんですよ。

例年、13日に帰省すると、墓参りにしか行ってないのですが、ふと気になって先日、母に「寺はどうしてんの?」と聞くと、前もってお金を払ってあるから寺のほうで適当にやってくれてるというような話でして、逆に気になったので現状確認のため、先に寺に寄りました。
愛宕山橋雲寺は、真言宗智山派に属する寺院として、実家近辺の家々がこぞって檀家になってる(ほかに寺らしい寺が近くにありませんしね)いわば、ただの地元のなんてことない寺なんですが、何度か書いてるように、津軽地域一円の位置づけとしては、辰巳の一代様で、去年今年の初詣なんかでは近辺が大渋滞してたりします。ただ、さすがに盆ともなれば、やってくるのは檀家のみ。で、こんな山の上にわざわざある寺に来たがる人は少ないというわけで、一言で言えば閑古鳥が鳴いてる状態。弘前市内は禅林街とか墓参の車列を捌ききれず、なんかとんでもない渋滞になってましたが(あれって、寺を集めた通りが袋小路状態だからね。江戸時代の殿様は、まさか自動車なんてものは想像できなかったろうし)、橋雲寺の駐車場にいた先客は2台だけ。どっちも県外ナンバーだってあたりがまたお盆らしいっすね。

檀家毎の仏壇(というのが正しいのかどうか、名称を知らないんですが)が並んでるのは、一応、本堂(?)の右隣の、たぶん、サイズ的にはこの寺で一番広い建物ですが、これらは本来の山門からまっすぐ登る方角からみると左にオフセットしてあって、山門の正面は護摩堂と呼ばれる建物。薄暗いのと、中がわりと雑然としてる(椅子とか積んであったり)するので、よく確認できませんが、たぶん、勝軍地蔵はこの護摩堂に置いてるんじゃないのかなぁ?と想像。なにしろ、護摩堂って、中を見ると幣とか見えるしね。

この護摩堂って、明らかに仏閣建築とは一線を画してまして、なにしろ、側面がガラス張り。これは理由があって、もともと、これは行幸のために作られた宿舎をここに寄進するということで移築されたものらしいです。じゃ、それ以前には山門の正面は何があったんだ?と謎が深まっちゃいますが、きりが無いので一旦追求はストップ。それより、本堂にあった仏像とどっちが本尊なんでしょね?みたいなほうが気になります。というより、やっぱりこのお堂の扱われ方は、基本的にカミサマというか、神社としてお参りにくるんですよね。「愛宕神社」だと思ってるしね、多くの人が。で、愛宕神社と書いた額が奉納されてたりもするし。でも、鳥居じゃなく山門をくぐって入るんであります。境内の奥の方には、稲荷社と天満宮があり、愛宕さんは辰巳の一代様というわりに、天満宮(小さな祠ですけれど)の横には「卯年の一代様」とか書いてあるし(というより、茂森にある天満宮はここから分祀したと言われてるようです)。稲荷社はどこの神社に行ってもあったりしますが、天神は……でも、仙台の愛宕神社にもあったんだよねぇ。といいながら、ここ、寺ですから。
思うに、寺であることを選んだので、逆に、今も「勝軍愛宕大権現」だなんて名乗っていられるんでしょうね。この点は、仙台の愛宕神社カグツチを、港区の愛宕神社が火産霊命を祭神にしているのと対照的です。
でも、本当はこのお寺で終わりじゃなくて、さらに山頂に祠があるんですよね。そこまでは、麓から参道、そして石段とまっすぐに登って行く形になります。たぶん、愛宕というものの本筋はこの山をまっすぐ登ることにあるんでしょう。出世の石段にくらべりゃ、落っこちそうな恐怖を感じるほどじゃないぶん、緩いっちゃ緩いんですが。でも標高なら勝つ。
さて、相変わらずですが、普賢菩薩を祭ってるかどうか判りませんでした。というより、ほらここに普賢菩薩像が、みたいなものは見つけられませんでした。神社として仏教的な要素を排除する必要があった「愛宕神社」である東京や仙台の例とは異なり、ここは寺なんだから、普賢菩薩を置くことは無理じゃないのに、置いてない(のではないか?)と思われる。でも、辰巳守護だという。仙台、東京は、嘗て置いてあった、故に辰巳守護というのですが、置いて無くなるならそういう信仰が離れても良さそうなのに、なぜか残る。というより、もはや、ボクは、そもそも愛宕信仰そのものに普賢菩薩が関与してたのではないか?という疑いを抱いています。
これについては、同様に、天満宮には文殊信仰があるってのも同時に述べておきます。さっき、さらっとスルーしておきましたが、卯年の一代様は「文殊菩薩」です。でも、一代様だと書かれてた祠は天満宮であって、菅原道真を祀ってるだけです。でも、道真ですよ、学問を武器にさえない家系から成り上がった(が故に放逐された)という伝説の持ち主です。知恵の仏とされる文殊菩薩とイメージがかぶるってのはアリなんじゃないか。同様に、なにか、愛宕権現普賢菩薩とイメージを重ねられていたということが、あるんじゃないか?というような感覚を持っています。
あ、墓は……なんか、どうでもいいや。なんか、カラスが悪戯するから、暗くなる前に備えた物は持ち帰るように、だそうです。野暮だねまったく。